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○琉球古典音楽の歴史(大略)

1.三線の伝来は何時? 何処から?
 それは14世紀の終わり頃であろうといわれています。その理由は、中国の福建省からかなりまとまった人数で移住があったからです。「1392年、びん人三十六姓の渡来」と歴史年表に出ているのがそれです。彼らが持ってきたとする立場です。彼らは浮島に集住し、そこは唐栄と呼ばれ、いまの久米町がその名残です。しかし彼らが三線を持ってきたという確かな証拠はなく、持ってきたであろうという推測に過ぎません。三線伝来の時期については、14世紀末から16世紀まで、100年をこす範囲で色々と論議されています。

2.三線音楽を創った人々
 「湛水が種をまき、屋嘉比が花を咲かせ、知念で実を結んだ」(山内盛彬の琉球の音楽芸能史より)

  •  アカインコ、最初の三線音楽家として伝承の域を出ないが、挙げることが出来る人です。尚真王の時代の人といわれ、 「おもろ」詩人として知られ、自身も「おもろ」に歌われた人です。読谷村楚辺にアカインコを祭ったお宮があります。
  •  次に了線(1615〜1663)という人が挙げられます。尚豊・尚賢・尚質三代に寵愛された盲目の楽人です。この人は最近まで知られていなかったのを、池宮正治が発掘し発表して知られた人です。
  •   次に湛水親方・幸地賢忠(1623〜1683)が挙げられます。慶長の役(薩摩の琉球攻略)後、人心落ち着かず、三弦楽が悲調を帯び、女人の手で余命を保っていたことを憂え、人心復興策として古謡を復活、琉球古典音楽の基礎を築いた人であります。この人の歌の流れは、今日湛水流としてわずか七曲だが残っていて伝承されています。
  •  次に屋嘉比朝寄(1716〜1775)が挙げられます。今の古典音楽の主流をなす野村、安冨祖の流(総称して当流)はこの人に始まります。もともとは謡曲、仕舞いの師匠であったが、盲目になって歌・三線の世界に入った人であります。遥曲の技法を琉楽に取り入れ、出来たのが当流です。私たちが知ることのできる最初の工工四を残しています。
  •  次に知念績高(1761〜1828)を上げることが出来ます。古今独歩の名人と評され、その優れた三線音楽で百姓の身分から士分にとり立てられた異例の人です。知念績高も工工四を残したが、散逸して断片的に僅かしか残っていません。この人によって屋嘉比の歌がさらに練り上げられ、安冨祖正元(1785〜1865)、野村安趙(1805〜1871)へ引き継がれ今日にいたっています。

3.どのような工工四があるか。残されているか

(1)屋嘉比工六四 桝目の無い「書き流し工工四」といわれるもので、現存する(琉球大学付属図書館所蔵)最古のものです。書き残した曲の数は117曲です。きちんとした楽譜を作ろうとしたのか、はっきりしないが、見たところ弦楽符号を緩急を示さないまま書き連ねた備忘録のようなものです。屋嘉比の師匠照喜名聞覚にも書き残した楽譜があったらしいから最初の工工四というわけにはなりません。
(2)知念工工四 「芭蕉紙工工四」といわれ、やはり書き流し式であったといわれています。残念なことに断片しか残っていないが、残っている楽譜(県立博物館所蔵)を見ると桝目こそないが縦横整然と文字が並び一行は十二段に整理記載されています。これは後世の人が清書したものであろう。知念の「芭蕉紙工工四」自体は残っていません。此頃から工六四は工工四と一般に呼ばれるようになって来ています。
(3)野村工工四 琉球国最後の国王尚泰の命により、野村安趙が松村真信らの協力を得て「知念工工四」を改良し、きちんとした桝目に記載し尚泰王に献上した(1869年)。琉球王府に伝わった三線楽譜はここに纏められ今日に残されたわけです。屋嘉比の工工四が改良されて知念工工四となり、知念の遺言によって安冨祖正元が改良し、それを尚泰王の命令でさらに整備編纂したのがこの工工四、「琉球国風絲楽三線譜」です。為にこの工工四を「欽定工工四」あるいは「御拝領工工四」と呼んでいます。これが琉球古典音楽の定本です。以後の工工四はすべてこれを定本、底本として出版されたものです。上・中・下三巻からなります。後で(1870年)拾遺が加わり計四巻となりました。
(4)湛水流工工四 尚泰王の命を受け、唯一の湛水流伝承者、首里儀保村の名護良保の謡を松村真信が採譜したものです。節数はわずかに昔節五曲、端節二曲のみです。

以上が歴史的資料として残されたものです。
(5)以下の工工四は現在の音楽団体が(3)の書式を参考にして、それぞれの団体でテキストとして編纂発行したものです。

(5)安冨祖流工工四 安室朝持が欽定工工四に習い安冨祖の流として1912年に編纂したもので現存しません。現在の安冨祖流工工四は古堅盛保編纂工工四をへて、宮里春行編纂工工四が使われています。
(6)声楽譜附工工四 野村流師範伊差川世瑞、世礼国男共著の野村流工工四です。1935年に初版本がでて、1941年までに上巻・中巻・下巻・続巻(拾遺)が相次いで出版されました。これまでの工工四は絃楽譜のみで歌は口伝に頼っていたが、この工工四により野村流は絃・歌ともに正しく受け継がれるようになりました。野村流音楽協会が発行しています。
(7)野村流古典音楽保存会の工工四 この工工四は、伊差川・世礼共著の声楽譜附工工四を記述方法を若干改めたもので、世礼の「琉球音楽楽典」を逸脱するものではなく、従って演奏も唱法もEの楽譜とかわりはありません。
(8)野村流松村統絃会の工工四 野村安趙の片腕として欽定工工四の編纂に当たった松村真信直系の流れを汲む宮城嗣周によって編纂されたもので同会派で使用しています。
(9)湛水流工工四 中村孟順の曲節を世礼国男が採譜。湛水流保存会で使用しているものです。
(10)湛水流工工四 山内盛彬の流れを汲む。五線譜を用いた横書きの工夫が見られます。湛水流伝統保存会で使用しています。


4.琉球古典音楽家の会派

(1)琉球古典音楽野村流松村統絃会
(2)野村流音楽協会
(3)野村流古典音楽保存会
(4)野村流伝統音楽協会
(5)安冨祖流絃声会
(6)安冨祖流絃声協会
(7)湛水流保存会
(8)湛水流伝統保存会


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